45歳と約1か月。「不惑」の境地へはいつたどり着く?

投稿者: | 2013年10月2日

慰められるよりは慰めることを

理解されるよりは理解することを

愛されるよりは愛することを

私が求めますように

 

「平和を求める祈り」の一節だ。

私が理想とする生き方なのだが、

こんなことをできるようになるのだろうか。

「なるのだろうか。」なんて言っているようでは...

 

子どもたちに勉強を教えていると、

「理解してもらおう」という気持ちが前面に出てしまう。(当然だと思うのだが。)

しかし、本当に大切なのは彼らを「理解すること」なのだ。

一流の指導者たちにとってこんなことは、「なにを今さら。」だろう。

まだまだ未熟だ。

我が子に対してもそうだ。

赤ん坊のころは、とにかく

「理解しよう。理解したい。」

という気持ちのみで接していた。

しかし、ことばを使える年齢になってくると、こちらの言うことを

「理解させよう。」

という気持ちの方が強くなってきたように思う。

またまた一からやり直しだ。

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