私はこの年まで、勉というものは自分のためにやるものだと信じて疑わなかった。
生徒たちにもそのように伝えてきた。
しかし、最近、それではなんだか器が小さいような気がしてきた...
先日、「タマゴマンは中学生」の著者、坂本勤先生の講演を聞く機会を得た。
テーマ「こどもの心を守る」。
内容、間、雰囲気、すべてにおいて、本当に素晴らしい講演だった。
あれから1週間。
私の心に残っているのは、実は話の本筋とは関係のない(気がする)、
先生のエピソードの中に登場したお母様の言葉だ。
「勉強は人様のお役にたつために、しっかりやりなさい。」
講演の最中は気に留めなかったのだが、
時間が経つにつれ、
私の心の中でどんどん重さを増している。
私たちが「自分のために勉強する」というとき、その言葉には
「将来、好きな仕事に就いてお金を稼ぐ」ということが含まれているはずだ。
では、「仕事に就いてお金を稼ぐ」とは、どういうことか?
それは「人に喜んでもらう」→「人様のお役にたつ」ということだろう。
自分のやった仕事を喜んでくれる人がいて、初めてお金を稼ぐことができるのだ。
対価は何もお金ばかりではない。
「人に必要とされる喜び」も十分すぎるほどの対価になりうる。
私たちは何一つ自分で作ったものはない。
ざっと見回しても、服、机、PC、ヨーグルト、イス、絵、本、ギター、...
何もない。全部誰かが作ってくれたものだ。
そしてそれを必要とした私が対価を払って、今こうして使わせていただいている。
私も自分が積み重ねてきた知識や経験で生徒たちを応援している。
みんな長い時間をかけて、必要な知識や技術を身に着け、
それを人の役に立てている。
そしてその人自身も数えきれない人に助けられている。
結果としては巡り巡って「勉強」が自分のところに返ってくるのだから、
「人のために勉強」=「自分のために勉強」
なのかもしれない。
しかし、それでは感謝の気持ちや謙虚さが心の中に育たないような気がする。
「自分、自分」と言っている自分に「おまえちっちぇーなぁー」と言いたくなった。
だから一昨日から改めた。
私は「人様のお役にたつために勉強する」ことにした。