教えるということ

投稿者: | 2016年6月2日

”教えるということ”は本当に難しい。

教える側⇒教えられる側⇒答案用紙という

”知識の流通”ではだめなのだ。

生徒によってはそれで上手くいく場合も、もちろんある。

でも、”勉強が分からないつらさ”が”別のつらさ”につながっていたりすると、

これはなかなかやっかいなのだ。

これは頭の良し悪し、成績の良し悪しとは全く関係がない。

私は「ひとはマルごとひとつながり」だと思っている。

だからうまく機能しない部分だけを取り上げて、

そこを何とかしようと思ってもだめなのだ。

子どもたちは色々な問題を心に抱えている。

(聞こえてこないことが多いのだが。)

その問題を実際に解決することは本人にしかできないのだろうが、

そっと見守り、本人が望めば話を聞くようにしている。

(状況によっては、ツッコんでいくときもある。)

一方で、「私は子どもたちの心の支えになっているのだから成績は関係ない。」

というのもインチキ臭い。

成績を上げることは容易ではなく、なかなか至難の業だ。

しかし、成績向上の目標を脇に置いてしまうと、

もう一方の”つらさ”から目を背けることになってしまう。

嗚呼、なんと難しい仕事なのだろう。

それだけに、やりがいもあり、喜びも大きい仕事といえる。

 

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