魚の骨にお茶

投稿者: | 2019年7月12日

幼いころ、私は父方の祖母と同居していた。私は間違いなく孫の中で最も扱いにくい子どもだったはずだが、とてもかわいがってくれた。 戦中戦後を生き抜いた祖母は、食べ物への感謝の気持ちをいつも忘れない人だった。食後は必ず茶碗にお茶を注いで飲んでいた。魚がおかずだったときは骨を茶碗に入れ、その上からお茶を注いでいた。そうすることで茶碗についているご飯つぶや骨の間に残る僅かな魚の身を残さずお腹に収めることができるのだ。
こんな話のあとは、たいてい「現代人は食べ物を粗末にして…」という展開になるのだが、今回は違う。

先日、高3生と受験対策をやっているときに冒頭のエピソードを思い出した。彼の取り組み方には、1冊問題集を徹底的に学び尽くそう、味わい尽くそうという気持ちが欠けているように思えたのだ。
選択肢の中から正答を選ぶタイプの問題ならば、正答以外のすべての選択肢の一つ一つにも気を配るべきだ。英語の場合なら、読み、意味、なぜダメなのか、どういう場合なら正解になりうるのか、など。歴史で人物を選ぶ問題ならば、すべての人物について説明することができるかどうか。
また、答え合わせをするときもそうだ。たとえ正解だったとしても、それが「真の正解」なのか「偽の正解」なのかを問いただすべきだ。真偽のジャッジは再現性があるかどうかできまる。再現性とは1週間後、1か月後、試験当日、いつでも同じく正解できるかどうかということだ。再現性があるかどうかは、自分の答えを合理的に誰か(心の中の自分でもいい)に説明できるかどうかで判断できる。
さらに、「重要事項のまとめ」のようなものや解答解説なども隅々まで頭に入れなければならない。

「仕上げた」「終わった」「ぜんぶ合ってた」と言いたくなったとき、どうか自分で自分に突っ込みを入れてほしい。本当に隅から隅まで理解しているのか? どの問題も説明することができるのか? 1か月後も全問正解できるのか? と。

「魚の骨にお茶」=「尽くす」というのは思いのほか難しいことなのだ。

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