グリーディーな好奇心

投稿者: | 2019年10月29日

こんにちは。札幌の家庭教師 ポプラ工房の山岸です。

人間の飽くなき探求心は、”世の中の不思議”を次々と解き明かし、説明してきました。でも、近頃の私は不思議は不思議のままにしておいていいこともあるのではないかと思っています。

探求心が便利で快適な時代を築いてきたことは確かだと思います。しかし、それが過ぎると何だかグリーディーで傲慢な感じがします。説明せずにはいられない、解明せずにはいられない、ベールを引っ剥がさずにはいられない。知的好奇心を私は大切にしています。知って、感じて、考えて…とても刺激的です。でも、強欲になってはならない気がします。「じゃあ、どこまでならいいの?」と言われても、線引きはできないのですが。

かつて量子分野の科学者を志していた私は、唯物論的世界観の絶対支持者でした。しかしながら科学で説明できることは限定的です。科学で説明できなくたっていいのに、科学で説明しようとするから似非になってしまうのでは? (最近はなんでもかんでも”量子”ですね…)

私は長い間、気功に親しんでいます。「気」についてさまざまな研究がなされているようですが、まだ科学的な決定打はなさそうです。私自身は「気」を感じますし、家族の不調をケアすることもできます(最近はカミさんの腰を治しました)。でも「気」が実在しようがしなかろうが、私はどうでもいいことだと思っています。楽しくてその上ちょっと人の役に立てばそれで十分。
面白がる心が大切だと思います。

(自己矛盾な文になっている気もします。そう思われた方、お許しください。)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA