こんにちは。札幌の家庭教師ポプラ工房の山岸です。
その先に何かがあると信じて一つのことをやり続けることは、とても勇気のいることなのかもしれません。
「もし何もなかったら? 何年もやり続けた先に何もなかったら?」
辛すぎます。
探し求めた宝箱を見つけたけど開けたら空っぽだった、なんことになったら…。
結局、努力の先には何も用意されてはいないんじゃないでしょうか?
金銀の詰まった宝箱なんて、どこにも埋まっちゃいないのではないでしょうか?
辛すぎますよね。
でも、それは解釈の問題なのだと思います。
努力することは、開けることのできない箱の中に一粒づつ何かを溜めていくことのよう思います。
そして、数ヶ月後、数年後、数十年後、何かがギッしりたまったときに箱の蓋がパカっと開くんです。
でも、開けたときに何が見えるかは自分次第。
何が入っていようと、どんなものであろうと、それは自分にとっての宝に違いありません。
箱を開けるとき、そう感じることができる自分を期待したいです。