父が終末期の緩和ケア病棟に入院して3週間が過ぎた。
先週まではしっかりコミュニケーションが取れていたのだが、昨日あたりから怪しくなり、今日は全く話せなかった。
我が父親ながら「すごい人だなぁ」と思う。
「十分幸せだった。悔いはない。覚悟もできている。孫はとてもいい子たちだし、嫁さんもすらばしい。息子はどうかわからないけど…」なんていうのだから。
そしてその言葉の通り、入院後もずっと穏やか。体は辛そうだが。
父とは、どこか戦友のような関係だ。
私が小3のとき、我が家は父子家庭となった。
北海道にいる間は祖母が手伝いに通ってくれていた。
しかし、私が中学校へ上がるときに父の転勤で私たちは神奈川へ移住。
慣れない土地、慣れない家事、慣れない職場と学校。2人とも毎日必死だった。
でも近隣の方々、中学校の先生、友人たちの暖かい支えのおかげで乗り越えることができた。
当時の面白エピソードは枚挙にいとまがない。
出汁も何も入っていない味噌だけ溶かしたオヤジの味噌汁。ただ塩辛いだけのお湯。
毎日ほぼ同じおかずの弁当。ご飯は3合くらい詰め込められていてアルミ弁当箱の蓋が浮いていた。
真夏の神奈川で1週間毎日着続けた1枚の体操着。なんか麦茶っぽい香ばしい香りがしていたような…。
面白いことが好き、勉強好き、思い込みが激しく自分の考えは変えない譲らない、そしてとても愛情深い。
目に見える形で表現することはしない人だが、私はとても愛されていた実感がある。
押し付けがましくないその愛は、とても快適で温かいものだ。
一方の私は、子どもたちにベッタリ関わりたい方で、もしかするとうざがられているのかなと少し心配だ。
思っていた以上に私はダメージを受けているようだ。
子どもじゃないんだから。みっともない。
そう思うのだが、仕事中にコントロールの効かない悲しみが突然襲ってきて、鉄砲水のように涙が溢れてくる。
人はこんな感情を経験することがあるんだ。映画の中のデフォルメされた感情だと思っていた。
あと何回、父に会えるだろう?
もっとたくさん会いにいけばよかった。もっと孫の顔を見せてやればよかった。
願わくば父が人生の幕を下ろすその瞬間、そばにいて手を握ってあげたい。