何かあるとすぐにゴソっと本を買ってきて学ぼうとする私に、
生徒たちやご父母のみなさまは、
「先生は勉強がお好きなんですね。」
とおっしゃる。
しかし、それはちがう。
いったい誰が「勉めることを強い」られて喜ぶものか。
以前も書いたが、人間は本来新しい知識に触れることを
「快」と感じるはずなのだ。
ワクワクしないだろうか?
この世にはまだ自分の知らないことがわんさかあるのだ。
私はそれらを知りたくてたまらない。
知ったところでどうということもない。
だいたいみんな即物的な利益を求めすぎるのだ。
なんでもかんでも「物質的豊かさ」につながるかどうかの尺度で判断する。
物質的豊かさは絶対に必要だ。なければ生きていけない。心に余裕もできない。
孔子先生だって「衣食足りて礼節を知る」と言っているではないか。
でもそれだけ追っかけるからつじつまが合わなくなるのだ。
先日たまたま見たテレビに「キング」と呼ばれる男が出演していた。
彼は年収120億。欲しいものは大抵手に入る。まさにキングだ。
しかし、いったいあの暗い表情はなんなのだ。
(持たざる者の嫉妬だな。)
一方で、完全に電池が切れて帰宅したのに、
妻と深夜ニュースを見ながら交わす取るに足らない会話で
心が満たされるあの感覚はなんなのだ。
やはり「人はパンのみにて生くる者に非ず」なのだ。
(持たざる者の強がりだな。)
人は両輪必要なのだ。
一方の車輪だけが肥大化すると、
その場で円を描きながらクルクル回ってしまうじゃないか。