アルバイトを含め子どもたちと関わる仕事を始めてかれこれ33年が経つ。
改めて”33″と書いてみて、自分でも驚いている。
この間、世の中は大きく変わった。
そして子どもたちも大きく変わった。
おそらく変化は地続きで徐々に進んでいったに違いないのだが、
私にはなんだか仮面がペロッと変わってしまう京劇の早変わりのように感じることもある。
ここ数年、今の子どもたちは総じて淡白になった。
勉強のやり方も淡白。
人に対しても淡白。
解決すべき問題に対しても淡白。
白身魚のタラように淡白。
表現の仕方がわからない、あるいは表現することをよしとしないだけで心の中では考えたり感じたりしている場合もある。
しかし、会話をしていて熱をまったく感じないことがある。
もちろんそんなことは昭和の昔からあったことだ。
しかし、この33年の間に局所的だった淡白因子があらゆる部分に広がってしまった気がする。
これは私だけが感じていることだろうか?
私だけの経験を一般化してしまうには分母が小さすぎる。
それに私は暑苦しい人間だから、相対的に周りの温度を低く感じている可能性がある。
仮に私の印象が正しいとして、なぜ”淡白傾向”が強くなったのか。
思い当たる原因が多すぎて逆にわからない。
仮想空間にいる時間が長い。SNSによる短文の応酬。平均化均一化されたペロッとしたツルんとしたアイドルたち。未来を描きにくい世界…
24時間365日熱を帯びていては疲れる。それは某元テニスプレーヤーに任せよう。
でも、自分の未来に関わることには熱くなってほしいと願う。
そのために私ができることを考えよう。