見つけるべきものは、スイカの皮?

投稿者: | 2020年7月23日

こんにちは。札幌の家庭教師ポプラ工房の山岸です。

たとえば砂浜に連れて行かれて、

「はい、では探してください。」

と言われたらどうしますか?

「何を探すのですか?」

と聞きますよね。
探し物をする場合、何を探すのかを知っていなければ探せません。
そうでなければ、スイカの皮なのか、花火の燃えかすなのか、見当もつきません。

となると、「自分探し」というのはなんなのかな?と思ってしまいます。
探すものがわかっていなければ探せないのですが、もし探すべき自分を知っているなら探す必要はありません。
逆にもし探す自分を知らないのなら、見つけたつもりの自分が本当に探していた自分なのかどうやって知ることができるのでしょうか?

自分に心底愛想を尽かしていた高校生のころ、私はぼんやりとそんなことを考えていました。

数年前、池田晶子という哲学者の書籍に同じようなことが書いてあるの見たとき、なんだか嬉しくなりました。しかし、そこには答えはありませんでした。

自分ってなんなのか、設定されたゴールはどこにあるのか、何を仕事にすべきなのか、どう生きればいいのか。
そんな問いに対する答えはないのだということを、本当は誰もが気づいているのです。

ということは、自分で勝手に解答を作ってしまえばいいということなのですね。
自分で問題を作って、自分で解いて、自分が作った解答集を見ながら丸付けをする。
だから全部マルでもいいんです。
あえてバツをつける必要もないですよね。

いま、新しく一歩を踏み出そうという懲りない自分を、もう一人の自分が呆れながら見ています。
なんでもありなのに、バツばかり付けてきた長い歴史があります。
そろそろ、ぜーんぶマルでもいいかなと思っています。

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