中学生だった頃、弁当の時間が何よりも嫌だった。
父子家庭だった我が家では父が弁当担当だった。
あまり料理を得意としない父が作る弁当は、ほぼ毎日同じ内容。
魚肉ソーセージを薄切りにして焼いたもの。
野沢菜。
レトルトのミートボール。
そしてアルミの弁当箱のふたが浮くほどの大量の白飯。
誰もがみなレシピ本に出てくるような素敵な弁当のはずはない。
でも当時の私にはそう見えていた。
何が嫌だったかと言えば、
不器用な父が早朝から私のために作ってくれた弁当を
恥ずかしいと感じている
この自分が心底嫌だった。
あの頃、弁当の時間の後、毎日下痢をしていた。
神奈川にいた2年間それは続いた。
中3で札幌に戻って最も嬉しかったこと。
それは札幌の公立中学校は給食だったこと。
給食 vs 弁当の議論をときどき見かける。
私にはどちらの言い分が正しいのかよくかわからない。
どちらも暴力になりうるから。
結婚前、私がまだ27歳だったある朝。
仕事で旭川に向かう準備をしていると、
妻が私のために弁当を届けてくれた。
初めて彼女が作ってくれた弁当。
初めて弁当っていいなと思えた弁当。
ただ喜び、ただ味わうだけの弁当。
先日、妻がつまみに魚肉ソーセージを出してくれた。
親父が作ってくれた弁当と、
子どもだった私の切ない思いがよみがえり、
少し泣けた。