神奈川県の川崎市で中学校に通っていた頃、「すーバァ」というあだ名の先生がいた。
この「すーバァ」がとにかく怖い。
朝の学活で教室に入ってくるなり床に落ちているゴミを見つけて拾い上げ、
「昨日の掃除当番の班長、たてぇーい(立て)!」
「一体どんな掃除をしてんだよ!」
と、しばし説教。
恒例の朝の儀式だった。
当時は80年代。
全国の中学校という中学校が荒れていて、暴力、破壊、酒にタバコ、が私たちの日常に溢れていた。
小栗旬主演のクローズをご覧になった方はおられるだろうか?
私の学校はあそこまでではないが、6割7割はあのような感じだ。
生徒たちの凄まじいエネルギーに先生たちも全力で向き合っていた。(少なくとも私の中学校の先生は。)
当時のエネルギーは、陰陽でいえば「陽」。ある意味わかりやすいものだったように思う。
当時の先生たち(私のいた中学校の)は総じてタフで、暑苦しいくらい熱かった。
その暑苦しいくらい熱い先生の筆頭が「すーバァ」なのだ。
口は悪く、とにかくあれこれうるさい。
でも、実は情に厚い心根の優しい先生だった。
札幌の小学校を卒業後、父の転勤で神奈川に引っ越し、そこで中学校に進学することになった私には知り合いも友達もいなかった。
その上、我が家は父子家庭だったので、勉強や部活に加え家事に追われる大忙しの毎日だった。
そんな私をずっと気にかけてくれたのが、すーバァだった。
学年が代わり、担任ではなくなってもそれは変わらなかった。
中3に上がるタイミングで、私は札幌に戻ることになった。
実は生まれ育った札幌を離れて寂しそうにしている私を見兼ねた父が、転勤願いを出していたのだ。
都落ちの転勤は出世にひびいただろうに…
何かの用で職員室に行くと、すーバァに声をかけられた。
「よかったね。札幌に戻ることになって。でも君がいなくなると寂しくなるよ。」
そう言いながら小さな手提げの紙袋を渡された。
帰宅して開けてみると、中には手紙とシャーボが入っていた。
「君にとって川崎は寂しく悲しい嫌な思い出の土地になってしまったかもしれないけれど、良いこともたくさんあったはず。このシャーボを使うときに、そのことを思い出してくれれば嬉しいです。」
あれだけ帰りたかった札幌だったが、その頃にはもう私は川崎の、この土地の人間になっていたのだ。
父には悪いが戻りたくなかった。
先日、目が覚めてなぜだか急にすーバァのこと、シャーボのこと、そして手紙のことを思い出した。
そして書いたのがこの記事。
しんどいとき、誰かに愛された記憶は私を大いに励まし力づけてくれる。
ご存命かどうかはわからないけれど、当時のように私を心配して声をかけてくれたのだろうか。
私も生徒たちにとってそんな存在になりたいと願う。
さて、お気づきかと思うが「すーバァ」は「数学ババァ」の意味。
全くなんて失礼な…でもピッタリなのだ。
やっぱりすーバァしかない。
