「もっと強くなって欲しい。」
「もっと強い心で生きてほしい。」
ヘタレでヒヨワな私が、昔から周囲の人間によく言われてきた言葉だ。
子どもの頃、私の神経は外向きにむき出しで人の言葉にイチイチ痛みを感じていた。
しかし、強くなるとはどういうことなのだろうか?
そして、人は強くなることができるのだろうか?
年を取った私は、情報処理がある程度上手くなったおかげで、
身体に入ってくる外界の刺激をそこそこ加工することが出来るようになった。
しかし、始めに感じるダメージは子どもの頃と変わらない。
痛いものは痛い。
筋トレや武道の稽古で筋肉武装した体は強くなった。(最近は白い筋肉になりつつあるが。)
でも結局、心の根っこは強くならずに40を過ぎてしまった。
高性能のフィルターやコーティングで守り、情報処理で痛くない言葉に加工できるようになる。
「強くなる」とは、つまりそのようなスキルを身につけることなのだろう。