深夜にたまたまテレビをつける。
画面に映し出されていたのは、正座をさせられ、悲しそうな顔で俯いている少女の写真。
幼い命がまた失われた。
子どもは、親の心の歪みの受け皿になったり、親の意志実現の道具になったりする。
私は、虐待被害を受けた子どもの報道には過剰反応してしまう。
それは私自身がサバイバーだからだ。
その事実に長い間苦しめられてきた。
本当に苦しかった。
しかし、どうやら最近、その苦しみを乗り越えることができたような気がする。
それは、私の話に耳を傾け、暖かい言葉を掛け、見守ってくれる人たちがいたからだ。
言葉では言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいだ。
もし、私のこの経験に意味があるとするならば、
友人が言うように、同じ苦しみや悲しみを抱える人たちの気持ちを理解し、
彼らに寄り添うことができるということだ。
私はカウンセラーではない。
私が長い年月をかけて身につけてきたものは、共に学ぶ、という技術だ。
その技術を通して、苦しんでいる誰かの役に立つこと。
これも私に与えられたミッションのひとつではないだろうか。