”教えるということ”は本当に難しい。
教える側⇒教えられる側⇒答案用紙という
”知識の流通”ではだめなのだ。
生徒によってはそれで上手くいく場合も、もちろんある。
でも、”勉強が分からないつらさ”が”別のつらさ”につながっていたりすると、
これはなかなかやっかいなのだ。
これは頭の良し悪し、成績の良し悪しとは全く関係がない。
私は「ひとはマルごとひとつながり」だと思っている。
だからうまく機能しない部分だけを取り上げて、
そこを何とかしようと思ってもだめなのだ。
子どもたちは色々な問題を心に抱えている。
(聞こえてこないことが多いのだが。)
その問題を実際に解決することは本人にしかできないのだろうが、
そっと見守り、本人が望めば話を聞くようにしている。
(状況によっては、ツッコんでいくときもある。)
一方で、「私は子どもたちの心の支えになっているのだから成績は関係ない。」
というのもインチキ臭い。
成績を上げることは容易ではなく、なかなか至難の業だ。
しかし、成績向上の目標を脇に置いてしまうと、
もう一方の”つらさ”から目を背けることになってしまう。
嗚呼、なんと難しい仕事なのだろう。
それだけに、やりがいもあり、喜びも大きい仕事といえる。