誤解を恐れず言ってしまえば、私は努力が苦手である。
努力の「努」の字は「つとめる」と読むと、
「無理をしたり、がまんしたりして行う。」という意味にもなる。
「精を出して仕事をする。」という意味もあるのだが、
どうしても前者をイメージしてしまう。
真に自分の内から出てきた、自分の望むものになるための努力なら、
時に辛かったり投げ出したくなったりすることがあっても、
それは「無理をしたり、がまんしたりして行う。」という意味の”努力”とは別物だと思う。
しかし、これを他人から強制され、まして大書して机の前に貼られるなんて私には耐えられない。
「努力が足りない。もっと努力しろ。」
こう言って子どもたちを叱咤すると、何だか指導しているような雰囲気だ。
しかし、立ち止まっている子どもたちに必要なのは、
なりたい自分になるために”具体的に何をするか”を一緒に考えることだと思う。
たとえ答えが得られなくとも、一緒に考えることだと思う。
そうして見つけたものが、その子の「Gift」であり「Mission」なのだ。