過去に蒔いた種が良い実を結べば、
「あなたの蒔いた種が、いまこうして花ひらいたのよ!」
なんて素敵な言葉で歓迎される。
一方で悪い実が成ると、
「自分で蒔いた種でしょ!」
と自己責任を問われててしまう。
とかく種とは厄介なものだ。
悪い結果が予測できていて蒔いてしまったのなら自業自得だ。
しかし、
良かれと思って蒔いた種だった場合、結構落ち込む。
ましてこちらの思いを知らぬ者に「自分で蒔いた種」口撃されると、
傷口に塩ならぬ、傷口にレモン汁だ。
種は命の源であり、可能性のビックリ箱であり、過去から未来への架け橋だ。
わかっていて蒔いた黒い種は論外として、
例えどんな実をつけようとも
結実するまでの長い時間は決して無駄にはならない。
汗と涙と愛を注いで育てたその種は、
たとえ良い実を結ばなくとも、
きっとどこかで形にならない実を結んでいるに違いない。
さて。
一つ書き上げたから、
柿の種に黄色く泡立つ水をかけて、素敵な実を育てることにしよう。