勉強には武道の型のような面があります。
武道の型とはいくつかのシンプルな動きを組み合わせて一つのパッケージにしたものです。
(→ 東京オリンピック銀メダリスト 清水希容選手の型)
型にはその武道の原理原則が練り込まれており、繰り返し稽古することでその武道の真髄を身体に染み込ませることができます。技を無意識のレベルまで染み込ませると、必要な場面で意識することなく技を繰り出せるようになります。
技の無意識化、自動化です。
無意識レベルで技を繰り出すことができるようになれば意識は他のことに集中できます。
相手の動きを分析し、戦術を考えることができます。
戦っている最中に「拳の握りは…」とか「体重移動は…」なんて考えていては一撃でやられます。
勉強もこれと同じです。
英語であれば基本構文や熟語などを含んだ例文を丸ごと覚えてしまいます。
理系教科であれば網羅型のテキストで例題と解答を丸ごと覚えてしまいます。
ただし覚える際はその意味や根拠も十分理解した上で覚えます。
そして何度も何度も繰り返し無意識のレベルに知識が沈み込むまで覚え切ります。
この「覚え切る」というところがとても大切です。
「えーとー」と少しでも考えて思い出しているうちは覚え切ったとは言えません。
見た瞬間、1秒以内に即答できるようになるまで徹底的に覚え切りましょう。
暗記については次の記事も参考にしてください。
空手の稽古は型だけではありません。
もう一つの大切な稽古が実戦を想定した組手です。
型の稽古で身体に染み込ませた原理原則を組手の稽古で使えるものに昇華させていきます。
勉強においても同じです。
必要な知識や解法パターンを覚え切った後は問題演習を行います。
これにより覚えた知識を使える知識に昇華します。
「覚えたんだからテストで解ける」
と思いがちですが、そうではありません。
読める漢字でも書くことができない、というのに似ている気がします。
持っていることとそれを使えることは別物です。
覚えたら必ず問題演習を通して使えるかどうかを確認しましょう。
もう一つ、勉強と武道が似ているところがあります。
それは「最大の敵は己自身」ということです。
私見ですが、武道は稽古を積めば積むほど、技を練れば練るほど、周りが気にならなくなっていきます。
そして身体的な面においても精神的な面においても自分の弱さが浮き彫りになっていきます。
そしてこれが、超えられないのではないかと思えるほどの高く大きな壁となって私の前に立ちはだかります。
これを超えるにはひたすら稽古するしかありません。
勉強も同じではないでしょうか。
やればやるほどやらなければならないことが増えていきます。
また、ゲーム、SNS、動画などの誘惑に負けてしまう弱い自分と戦わなければなりません。
これを超えるには、今一度「自分の夢は何だったのか」「自分が一番手に入れたいものは何なのか」を思い出し、心に刻み、勉強に取り組むしかありません。
知識の習得を勉強と呼んでは、勉強をあまりにも矮小化しているように思います。
知識を習得し、それを使えるレベルに高め、弱い自分と戦い、生き方すら変えることもある。
これはもやは勉強道と呼んでもよいのではないでしょうか。