原則、英語には必ず主語がある。

一方、日本語は主語がなくても成立する。

例えば次の歌の一節には主語がない。

あの人のことなど もう忘れたいよ。
 /片想い

英語にするには主語を加えなければならない。

I would like to forget her anymore.

原則、英語には動詞が必ず存在する。

一方、日本語は動詞がなくても成立する。

例えば次の一節には動詞がない。

子どもの頃 寂しさだけが 友達だったよ。
 /DJ お願い!

英語にするには動詞を加えなければならない。

When I was a kid, loneliness was my only friend.

主語の省略に慣れている私たちでも、時々「誰が?」と聞き返すことがある。

それほどまでに私たちは主語を省略してしまうのだ。

そんな主語も動詞もない言葉に慣れきっている私たちだからこそ、

英語を学ぶときには「SVの発見!」に注意を払わなければならない。

さらにさらに日本語は目的語さえ省略できてしまう。

気がついたときには もう愛していた。
 /片想い

誰を? もちろん彼女を。

英語なら、

I already loved her when I realized it.

もう何でもかんでも省略だ。

そしてとうとう全部省略して、”言わなくても分かってくれ”的なところまで行ってしまう。

これが日本の「察する文化」ではないだろうか。

話を戻そう。

SVの発見は無意識レベルでできるようにならなければならない。

それまでは毎回毎回「Sは?Vは?」と意識すること。

これが英語のイロハのイだ。

投稿者

Michael

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