50を過ぎ、少々胴回りがダブついてきた。
ここらあたりでなんとかしないと、誤魔化しが効かなくなる。
それで今年は夏までに絞ってやろうと思っていたのに…。
近頃、どういうわけだかメシが美味い。
ご飯がススム君。
今日も朝大盛り2杯、昼大盛り2杯。そして夜はカレーライスの大盛り3杯。
おまえは食べ盛りの中高生か!
と自分につっこんでみた。
最近、自分の年齢を意識させられることが何度かあった。
昨年の4月からカポエイラを習い始めたのだが、こんなことを言われた。
「山岸さんのような年齢でも頑張っているんだ、できるんだ、というのを動画で紹介しようと思うんですけどいいですか?」
と指導してくれている先生に言われた。
そうか「山岸さんのような年齢」なんだ。私は。
昨年の7月に日本語教師としてデビューしたのだが、こんなことを言われた。
「失礼ですけど、その年齢で新しいことを始めるというのは素敵なことですね。」
と同じ職場で働く先生に言われた。
そうか「その年齢」なんだ。私は。(もちろんポジティブな意味で言ってくださったのはわかっている)
生物的には確実に歳をとっていく。
でも歳をとったから、こうしなければ、これはできないだろう、というのは違う気がする。
そんな決めつけ(?)、ステレオタイプ(?)、が人を「トシ相応」という箱に押し込める。
そして人は周囲の期待に応えてしまう。
いいトシだから、男だから、女だから、子どもだから、貧乏だから、勉強ができないから、障害があるから….
“こう”するのが普通。”こう”振る舞え。
多くの場合、それを跳ね返せず、その期待に応えてしまう。
私は体が55歳になったから55歳になったのではなく、
周囲の期待に応えて55歳になったのだ。
ああ、ばかばかしい。
メシが美味い。
きっと明日も大飯を食うだろう。
食い盛りの中高生のように。